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日本の寝台車

車両に関する詳細な歴史、各形式へのリンクについてはA寝台、B寝台の項を参照のこと。
日本の鉄道技術は、アメリカとヨーロッパ双方の技術を参考に発展したもので、寝台車に関してもその例外ではなかった。日本初の寝台車である1900年(明治33年)4月に使用が始められた山陽鉄道の一等寝台車は開放式で、車体幅の制約から昼間は長手式腰掛となるもののプルマン寝台車を参考にしたものであった(ANA スカイツアーズ)。日本鉄道が1903年(明治36年)に導入した寝台車もこれと同種のものであるが、他方、同年10月に官設鉄道で使用が始められた一等寝台車はイギリスとアメリカからの輸入ではあるが、ヨーロッパで主流の全区分室の寝台車であった。また、1908年(明治41年)に登場した南満州鉄道最初の寝台車である「イネ1」は、プルマン社から直輸入した寝台車で、開放式寝台主体の寝台車であった(沖縄サンコーストホテル)。
鉄道の国有化が完了した1907年(明治40年)、寝台車の連結が行われていた路線は、現在の東海道本線、山陽本線、東北本線、常磐線にあたる各線に限られていたが、1910年(明治43年)には九州の門司駅(現門司港駅)~長崎駅・鹿児島駅、翌年には北海道の函館駅~釧路駅でも運行が始められている。大正年間には、奥羽本線、中央本線、北陸本線、信越本線、山陰本線、岩越線(現磐越西線)、宗谷本線、名寄線(後の名寄本線)などでの運行も行われるようになった。1931年(昭和6年)2月には、新たに三等旅客向けに三等寝台車が登場している(ANA JCBカード)。一等・二等寝台車は不況により利用が減少していたが、三等寝台車の登場によりその傾向は強まり、1934年(昭和9年)の東海道・山陽本線以外での一等寝台の廃止につながる。戦時体制により輸送需要が増大するまでは、二等寝台車も寝台の一部を組み立てず、二等座席車として運行を行っていたケースが多かったようである。この間の1932年(昭和7年)にスハネ30100形に初めてカーテンが装備された[キャッシュパスポート]。
第二次世界大戦は日本の寝台車に大きな影響を与えた。終戦期には全ての寝台車が運行を停止し、優等寝台車の多くは進駐軍専用車として使用され、また、輸送需要の急激な増大もあったために、寝台車の全国的な復活には時間を要した。まず1948年(昭和23年)に戦後初めて一等寝台車マイネ40形が新製され、一般営業用の寝台車が復活、二等寝台車も4人用区分室をもつ改造車マロネ39形が1950年に、新製車スロネ30形が1951年に登場した。また1956年軽量構造の三等寝台車ナハネ10形が開発され、成功を収めた(神姫バス)。
1950年代から60年代において、日本では航空機利用は欧米ほど一般化しなかったことからその後の発展は顕著で、大量の寝台車が製作され、全国の幹線で寝台列車が運行された。1967年(昭和42年)には、世界でも珍しい(アメリカのインターアーバンに僅かな先例があるのみの)動力分散方式の寝台電車「581系」が登場している。1980年代以降は、運用の場が狭まってきたものの、主要幹線での運行が若干残存する。
なお、日本の寝台車両を歴史的に眺めた場合の特徴として、その様式の雑多なことを挙げられる。日本の寝台車はプルマン式、ヨーロッパ様式の混在で始められたが、国有化後もこれが統一されることはなかった。三等級制のもとでは、「区分室寝台は一等」という前提は存在したが、開放式の一等寝台車もしばしば製造され、また、マロネ39などの全て区分室式や、マロネ38のように特別室としての区分室を備えた二等寝台車も存在する。旧三等に相当するB寝台においても、電車三段式寝台と客車寝台が存在し、その様式は多様である。
JR化前後に登場した個室寝台車でもその傾向が強く、世界中で試された多くの個室寝台車の様式の見本市と言っても過言ではない。また、581・583系電車の登場から31年を経て1998年に285系電車「サンライズエクスプレス」が登場している。
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